大きなタイトルはそれしか獲っていないから、コックスプレートだとかクイーンエリザベスSなどの10F級でもないことで、一発屋みたいな戦績であることは認めつつ、これがヘイロー直系、北米でも日本もあまり見かけない、サンデーサイレンス、タイキシャトルのデヴィルズバッグ、南米にホームを持つサザンヘイローら、主なラインを経ていない傍流であることで、妙な具合に、サンデーサイレンス系とのコネクションがスムーズで利点に溢れている。
サンデーサイレンス導入に成功の吉田家・社台グループの隆盛の陰で、執念のホースマン・故岡田繫幸氏は、その他のヘイローであるとか、オーストラリアにある同じターントゥ直系であるサートリストラムの血を求め、強いクロスで対抗しようとした結果、死した後にオークスを制するユーバーレーベン<サンデー系×デヴィルズバッグ直系×ロベルト系×サートリストラム直仔のザビール>で、見事な完成の図を見せるも、それはダービーではなかった。
惜しくもダービーは6着、その前の皐月賞も強いジャスティンミラノに続く2着だったコスモキュランダは、サンデー直系にその第4のヘイローと組み合わせに加えて、母母父はユーバーレーベンのファミリーとは関係ない血に入ったザビール。
アメリカジョッキークラブカップ予想2025- レース展開と最終予想
このレース。
メジロモントレー<モーリスの母母、メジロドーベルの近親でもある>で1991年に優勝して、3年前の勝利までで7度勝っている横山典弘騎手の実子である和生、武史両騎手が参戦予定。
自身も参戦するのだが、どういうわけだかダービー馬には乗らない。
いや、そんな予定は最初はなかったから、ずっと乗ってきたマテンロウレオ<ダービーだけは和生騎手が騎乗、自身は同冠号同厩のオリオンに跨り、ドウデュースとイクイノックスによる人馬の駆け引きを馬上で堪能したと上機嫌だったらしい>に、自然な流れで乗ることになったのだが、ダノンデサイルも出てくることになった。
元からいる関東の名手に、ほとんど最近は京都から通いで関東の競馬に乗っているルメール騎手なども含め、こうした大レースは戦略的に騎乗者を選ばないといけないから、ほとんどルメールと逆の立場になった横山典弘も、最初から押さえておかねば、乗ってくれやしない。
ただでさえ、直接の対話で騎乗依頼を受け、了承するスタイルを頑なに守り通す男である。
その性質も含め、彼に、ある種畏怖の念をもって接する安田翔伍調教師は、軋轢が生まれる覚悟で、この緊急参戦の流れを半ば強引に作り出した。
馬優先であると話せば、大きな問題は生じないと確信があったものと思われるが、それにしても、恩義のある昆調教師のところの馬であるとはいえ、相変わらずである。
客観的に楽しみたいから、両方とも軸には据えないという手を講じた。
その適当なコマがあったからこそ、より一層このレースは盛り上がるが、ノリ関連のファクター満載のこの一戦。
さながら、年を越してからのダービー優勝祝賀会である。
和生クンは昆厩舎の曲者・アウスヴァールを駆り、何だが、ルメールにとられてしまったアーバンシックの埋め合わせにでもと、今度はデムーロから奪ったコスモキュランダで<デムーロ兄は一応プロキオンで騎乗する馬がいる>、真の意味での再戦に逆襲を誓う武史クンもここでは強敵になる。
さすがはアメリカンジョッキークラブCとアルファベットでは表記されるAJCCというメンバー構成。
これにレーベンスティールも加わるが、いつものように、半解凍状態のルメールさんは、相変わらずのピンボケ感で、京成杯のキングノジョーをアホみたいな逃げ馬にしないところまでは上々だったが、かつてみた良血・ウスカイグルーヴでの失速とそっくりで、立て直しには少し時間が必要な雰囲気も受け、妙に次はよくなるというコメントが痛々しく感じられた。
彼ももう50が向こうからやってくるような齢であり、昨春の悲劇の際に負った骨折の後始末も兼ねて、例年より1週ほど長く休暇を取ったことは、マイナス要因でもあったはず。
いつもの年では、東京開幕週で6勝位するが、そんなクリストフに戻る前に手が掛かるレーベンスティールは、しっかりと自力で何とか走ってくれるだろうか。
このレーベンスティールを除き、やけに気になるノリコネクションが実に目立って見えてしまった。
実績からダノンデサイルを、また実力でその次に続く組をわざわざ人気順から押さえる必要はないと言ってしまった手前、2番人気以下なら有り難いコスモキュランダを切る理由がない以上、結果的に武史騎手の馬になったと証明されることとなれば、筆者とするとベストに近いシナリオなのだが、昨年より少し目立っていないルメートル騎手の外国人騎手で走るイメージのビザンチンドリームに乗り、これがダービー馬と同じエピファネイアの仔。
諸々、人気のない方理論からも買いの天命を受けた伏兵は、目立たないルメートルだからこそ、トリッキーな中山2200では面白い。
加えて、調教の中身を騎乗の経験から少し変えてみたらとアドヴァイスされたというアラタが、福島記念のズブズブの展開で快走。
また、自身が5度、開眼の前とG1戦線で走るようになってから騎乗したスクリーンヒーローの仔・ボルドグフーシュも参戦の可能性がある。
モーリスに関連する馬が直仔にもいるとなると、メジロモントレー枠のワイルドカードも切れるはず…、こういう話をすると、ベテランの名手に関わる伏線回収の流れが収集不能になってしまう。
単純に、出負けがあっても瞬発力勝負ではない中山で、高速競馬にも一応の対応力があり、それに横山武史ならばそれでいいではないか。
本筋はこれでおしまいなのだが、ダノンデサイルがいるだけに無駄なワクワク感がある。
筆者はこの流れを敢えて、意図した作戦と読んでいる。
G1級であることを後々の舞台で証明する過程で、一応の実績作りはできたものの、今や、皐月賞馬の方がずっと生産地での評価は高い。
そのレコードウインのジャスティンミラノにダービーで土をつけた実績は、もっと万能に近い本質的能力のあくまでも一面を証明したものにすぎず、もっと大物になってもらわねばならない。
筆者、この過程であえて、1コーナーまで距離の取れる2200Mを選択したことに、たまたまでも手が空いていたが、ダノンの馬に縁の深い戸崎騎手の起用に、深堀りをし過ぎた見解を持っている。
このコースの作りで前に行ってしまうようならば、主戦が距離を持たせてきた技量が勝っていたという解釈になり、少し溜めて運ぶという、戸崎騎手独特の馬乗りの技量に適した末の伸ばし方で、本能的に隠し持っていた決め手を引き出しにかかって、それで負ける分には構わない。
早い話が、今まで通りに前に行けば、よほどのことがない限り負けない。
ただ、それでは意味はないから、先入観のない巧い騎手で、馬自身の成長を促すのが、今回の目的であろうと勝手に読んだのだ。
筆者が思うに、前受けの競馬を今までは意味もなく自分の意志ではない感じで、天才的にこなせるように、鞍上がアシストしていて、またそれに長けた騎手だから、距離を半ば強引にこなしてしまっていた可能性があるが、差せるようになれば、この辺りに柔軟性を担保できる。
余計な話はきっとしないだろう安田翔伍師は、おおまかな説明に、ベテラン同士だから細かいことはノリさんに聞いてくれれば、あとはおまかせというスタンスなのだろうが、実際、種牡馬になった後のことを考えたら、スピードレースでの実績作りは必須。
国外のレースにもオーナーサイドの意向もあって登録されているから、成長した暁には、誰で行くかはともかくとして、仕上げはやはりあの男の力を借りるとしても、その過程に必要な要素、現状のダノンデサイルの実態を把握する上で、実は、かなり実験的な要素が満載である気がするのだ。
そういう意味で、主戦の先約のある日にたまたま同じレースとなったが、ダービー馬を使うことになっただけ。
変える意味があるから、成功の公算もあるが、コスモキュランダが最近ずっと出負けしているように、そういうところが出てきて不思議がないほど、今のダノンデサイルはあまり真剣にというか、緊張感に欠けるレースぶりとなっている。
負けるなら差す形と仮定した時、そろそろ、本当は位置を取りたいだろうコスモキュランダが正攻法で運んで、押し切ろうとすると、この予想の組み立てが成立する。
横山典弘のような縦の歴史にも、その現役中における共通の方向性を持つ者との比較においても異質な存在が、これほどの物語を生むのだから、どうしたって、ダノンデサイルを推さないとなると、こういう説明、解釈の手法であるという能書きが必要になる。
ちなみに、対抗に推したビザンチンドリームの母ジャポニカーラには、主戦級の騎手として横山典弘は2勝、デビュー戦での勝利にも貢献している。
子供だらけというより、自分の息子とかつての騎乗馬の孫やひ孫の中に主役候補がいるとなると、ルメールさんが勝つ以外、高確率で陰ながらでも、ニヤッと微笑みかけてくれる騎手が出てくるということになる。
神業で8勝目を挙げるか、相当な確率で楽勝の公算である昨年のダービー馬の復活勝利が見られるのか、はたまた。
普通ではない何かが起きている大きなレースは、いつも、必然性のある結果がもたらされるのだと、定石通りのジャッジをした時、斤量以外で負ける理由ないG1馬を、唯一、力でねじ伏せられる可能性がある一頭に賭けるという筋書きに、何となく、既に達成感に満たされる筆者なのである。
普通はダノンデサイルだろうが、案外、負けた時の方が前途洋々にも思う。
ゴールドシップが断然支持を裏切った後の天皇賞があった。<本番では再び横山典弘騎乗>
フィエールマンも同じように負けた後に春の天皇賞を、ウインマリリンやポタジェもここで人気よりは負けた後、しばらくしてG1を勝った。
スペシャルウィークのように3連勝目が天皇賞となるような時代ではないから、ここで勝つこと自体の意味は、それほど大きなものはないだろう。
人間のストレス解消のためではないという使われ方をされた以上、負けの方に肩入れするのは、ある種の馬優先主義なのだと、筆者は勝手に偉そうな態度をとって見せるのである。