日本ダービー(東京優駿)2017 回顧
東京では上手な競馬ができる。
速くはないマイスタイルを駆って、逃げ馬らしい形は作ってみせた横山典弘騎手だが、機を見るに敏のルメール騎手然り、ダービーの勝ち方を知っている四位洋文騎手もそう、日本ダービーを一番よく知る外国人・デムーロ騎手も、今回はやれることはやったので、逃げ切りはならなかった。
ここ数年、横山騎手が2度目のダービー制覇を果たした14年や昨年激戦を制したマカヒキの川田騎手もそうだったが、皐月賞とのレースラップの違いを理解し、出来る限り、死語になりかけていたダービーポジションを目指して、位置を取ろうという意識を持った人が、栄冠を射止めていた。
その前の岩田騎手のディープブリランテも、背負うものを全て力に変えて、先行押し切りで念願のダービー制覇を果たしている。
ドゥラメンテやオルフェーヴル、ダービーを勝てる代わりにオークスに勝てなくなった武豊騎手のキズナは、どの位置だろうが勝っていたはずだが、追い込んでダービー劇的勝利など、高速化の進んだ最近は、ほとんどなかったのだ。
そこまでデータを取り入れていたかどうかはわからないが、今のルメールは、ちょっと手が付けられない。
ダービーは派手な勝ち方をしてしまうケースは多いが、道中にビビッて、位置取りが普段通りにできなくなったせいで、結果そういう展開になっただけということも多い。
7年前だったか、横山騎手もヴィクトリアマイル-オークス-ダービーのスペシャル3重勝一人獲りに挑戦したが、出遅れてしまったペルーサを、3角まで抑える事しかできないほど、スローペースに巻き込まれて身動きが取れなかった。
あの時の騎手が、今回は逃げている。
誰の動きを見れば、レース判断に間違いがないのか。
その昔、若き日のオリビエ・ペリエは、日本の競馬のルールを岡部幸雄のやり方に学んで、それを踏襲することで、最後はほぼ日本人化するように勝ちまくり、競馬サークルに溶け込んでいった。
今のルメールは、武豊や横山の作る合理的にして、最も各馬の力が出しやすい展開というものを、非常によく理解しているように感じる。
目標設定を見誤らなければ、このような大レースで、本命候補の馬の力を出し切れないはずがない。
まずまずのスタートから、少し胸騒ぎもあったか、いや、高速化した馬場を意識したのだろうルメール騎手のレイデオロは、向こう流しで動いていくことになるのだが、差すことを選択せざるを得なくなったアドミラブルと似たような不穏な気配でチャカつきをみせていたのに、こちらは堂々と大外進出である。
直線だけを見れば、先週の2歳女王と似たような競馬になったわけだが、不器用なスワーヴリチャードが普通の型にハメるしかない、いや、ハメられたら勝てるだろうという四位騎手の自信の騎乗を、最後はきっちりひと伸びで封じた辺り、とても雑な動きのようでいて、最高に合理的な競馬をできたのではないのか。
もちろん、スローだからと言って動くのが正解とは限らないが、外に出したことで、少しいつもより馬を前向きに走らせようとしたにより、ルメール騎手のイメージ通りに、然るべきヴィクトリーポジションを、追い込みタイプなのに取れたのである。
言ったら、テンよし中よし終いよしのミホノブルボンの逃げの形のような競馬だ。
ここ2週、デムーロの覚醒期を見えているように理想的な競馬を、大一番でだけ(笑)みせるルメール騎手だが、彼の勝負に対するスタンスは、ほぼ同級生の彼と比べても、今回もそう、レースを自分で壊しに行く競馬は決してしないというルールを踏襲しつつ、正しい競馬に徹すれば、いずれ流れは来るということを信じているように窺える。
遅いから、動いたのだ。
アルアインは、どう乗っても展開が変わらない限り、結果は似たようなものだったはず。
上位2頭にはスローに強いミスプロの血があり、東京での実績もあった。
人気のアドミラブルも、ファミリーのクラシック適性に加え、東京2400Mへの適性があった。
力関係からして、ベストパフォーマンスのマイスタイルに負けるはずがない。
鼻差及ばずの結果はこの場合、速く走ることに適性はあっても、極限の決め手や勝負強さが求められた場合、皐月賞以上のパフォーマンスをしたところで、皐月賞前の評価通りに、抜けた存在ではなかったという証に思える。
音無調教師はどう思っているのだろうか。
藤沢和雄という不世出の名調教師に屈したというより、最大の課題を残した今回のライバル陣営の策に乗ったものの、枠順の不利から、予想の範疇ながら気負ってしまったことでも、ミルコの味な騎乗を今年も見せることができなかったし、やはり間違いだったと思っていないだろうか。
でも、藤沢厩舎の先達は、秋以降は世代のベストホースである。
最初に出たGⅠで力出し切れずなど、ごくごく普通の結果だ。
もっと先があると、ダービー2着のおじいさん・シンボリクリスエスが、15年前に証明したことを信じたい。